日本人なら知っておきたい歴代の内閣総理大臣一覧(明治~大正時代)
こんにちは、ゆうです。
先日、職場で患者様と田中角栄氏の話になって、新人の子が「社会に出てくる偉い人ですか?」などと言っていました。
その時は思わず笑ってしまいましたが、平成生まれの子だとあんまり知らないのも無理ないのかなぁなんて思います。
皆さんはご存じかもしれませんが、田中角栄氏は昭和の内閣総理大臣です。
日本には、三権分立というものがあり、国の権力を「立法」、「行政」、「司法」として三つの機関で分担されています。
この三権をそれぞれ国会、内閣、裁判所が担当しており、互いに監視して権力が暴走するのを防いでいます。
内閣総理大臣は、この行政における日本のトップです。
現代の話ではないにしても、日本人として日本のトップである人物の名前ぐらいは覚えておきたいものだと思います。
そこで今回は歴代の内閣総理大臣の名前、任期、在任中に起きた出来事などを簡単にまとめましたので、一読して頂ければと思います。
長いので、今回はそのうち明治~大正時代の内閣総理大臣について書いていきます。
また、顔写真などは内閣総理大臣の一覧 - Wikipediaをご参照ください。
明治時代
第1代 伊藤博文
1885-1888
第2代 黒田清隆
1888-1889
第3代 山縣有朋(やまがたありとも)
1889-1891
大日本帝国憲法下
第4代 松方正義
1891-1892
第5代 伊藤博文
1892-1896
第6代 松方正義
1896-1898
八幡製鉄所設立
第7代 伊藤博文
1898-1898
自由・進歩両党合同による憲政党結成
第8代 大隈重信
1898-1898
日本最初の政党内閣「隈板内閣」成立
第9代 山縣有朋
1898-1900
第10代 伊藤博文
1900-1901
第11代 桂太郎
1901-1906
第12代 西園寺公望(さいおんじきんもち)
1906-1908
第13代 桂太郎
1908-1911
第14代 西園寺公望
1911-1912
大正時代
第15代 桂太郎
1912-1913
第一次護憲運動開始、立件同志会結党宣言
第16代 山本権兵衛
1913-1914
シーメンス事件
第17代 大隈重信
1914-1916
第一次世界大戦勃発、対華21ヶ条の要求
第18代 寺内正毅
1916-1918
第19代 原敬
1918-1921
最初の本格的政党内閣、朝鮮3・1独立運動、ヴェルサイユ条約、国際連盟加盟
第20代 高橋是清(たかはしこれきよ)
1921-1922
ワシントン会議、全国水平社創立
第21代 加藤友三郎
1922-1923
第22代 山本権兵衛
1923-1924
第23代 清浦奎吾(きようらけいご)
1924-1924
第24代 加藤高明
1924-1926
第25代 若槻禮次郎(わかつきれいじろう)
1926-1927
いかがだったでしょうか。
そもそも政治は、明治維新後、五箇条の御誓文に則り、立法・行政・司法を司る最高機関である太政官制度によって行われてきました。
しかし、奈良時代から続くこの体制は新時代にそぐわないとして改革が行われ、 明治18年(1885年)に内閣制度が発足され、太政官制度は廃止されることになりました。
そして、初代内閣総理大臣には、太政官制度の改革派であった伊藤博文氏が就任することになりました。
伊藤博文氏は当時44歳で内閣総理大臣に就任しましたが、これは現時点で歴代総理大臣の中で最年少での就任となります。
また伊藤博文氏は合計で7.5年間も内閣総理大臣に就任しており、明治時代でも有名な総理大臣ですので、覚えておきましょう。
(ちなみに最長在職期間記録を持っているのは、約8年の現内閣総理大臣である安倍晋三首相です。)
次回は昭和以降の内閣総理大臣を見ていきましょう。